2010年07月28日
今日は嬉しい知らせが入りました。
かつてこのブログでも、『大聖歓喜天利生記』と称し、幾度か執筆も重ねて下さった、マジシャン高橋司さん。
結論からお伝えすると、彼の抱えていた様々な難問題が好機好転の波が一気に押し寄せて来たかの如く、ことごとくほぼ全てクリアーになったと云うことでした。彼は彼らしく事細かに報告してくれましたが、プライバシーも配慮し逐一ここで内容を書くわけには参りません。
が然し、仮に彼の承諾を得られたとしても、とても書ききれないほどなのです。私は以前から彼の問題を存じ上げておりましたが、何もご存じない皆さんに、斯く斯く然々でこの問題はあーなってこーなって、その問題もこーなってそーなって、あれもこれもこんな状態だったのが、キレイさっぱり片付きました。
としか書けないほど、難題山積だったものが落ち着いたようです。彼は海外も飛び回る某一流企業の営業部長さんでしたが、会社在籍も悩みに悩んでいた問題の一つでしたが、穏便に退職叶ったようで、晴れて念願のプロマジシャンに転向したそうです。
彼がメールに添付してくれた写真。そこに写っていた彼の表情は髪型も変えて雰囲気もタレントさんそのもので、何よりも本当に清々しく、とてもいい笑顔でした。
写真をブログへ転送しようとしましたが、何故か再生できずで非常に残念ですが。。それほどいい笑顔でしたよ。彼の写真はチャリティーマジックショーなどで何枚もピクスに上げてあるのでご存知の方も多いでしょうけど、あれでしょ?そう思うでしょ?
そう、彼は私と違ってとても愛嬌のあると云うか、ぶっちゃけ可愛い顔してんですよねw。悪いことしても怒られない系と云うか、愛されキャラなんですね。きっと。私は善いことしてても、なんか怪しいとか云われそうだしw。
それが彼のこれからのタレント人生の中でも、とても活かされてくるでしょうし、先日おやまんにも似たようなことを云いましたが、それは彼の天から与えられた徳性なんでしょうね。
その徳性を見極め存分に活かして、自分の出来る範囲で世に人に尽くし、世の人の役に立つ。それこそ菩薩行でんな。ナンも後進国に寄付するだけが善行やないですからね。
彼は感謝してくれました。
これも霊験あらたかな聖天さまのおかげ、その聖天さまとの稀有なる縁(えにし)を結べた端緒となった私のおかげと。そんな私も芦屋の知己、テルさんのおかげで今の信仰があります。
何度も云いますが、私は聖天信仰に至らなければ、恐らく既に仏教徒をやめているかも知れません。出家しようが今の時代、還俗するのなんぞワケないことですから。
待乳山聖天の平田ご住職の言葉が今、改めて思い浮かびます。
『ここは最後に来る寺ですから・・』。
この言葉の意味は、どの神もどの仏にも見放され、どうにもこうにも救われない人が最後にたどり着く寺(神様)、、、
と云う意味だけではなく、きっと聖天さまをひとたび信じたのなら、自分にとって聖天さまが最も或いは唯一、自分自身を託せる投げ出せる神だと確信出来たのなら、それ以後、信仰を留める途絶えることなく、生涯信心してゆくことに疑問を持たなくなる。
そんな風に近頃思えるようになって参りました。
高橋司さん、本当に良かったですね。また貴方の笑顔が見れて何よりでした。日本には勿論、世界中にもまだまだ聖天さまに救われるべき、聖天さまにしか救えない人々がいっぱいいます。
私には何にもありません。
人の心を癒す霊力もありません。悩みを相談されて真摯に聴いてあげられても、お釈迦さまのように一人ひとりに応じた、分かり易い比喩で悟らせることも出来ません。
救って下さるのは私ではなく、あくまで聖天さまです。
その為に御縋りするのも私ではなく、腑に落ちられたご自身です。
私の役目は一人でも多くの困窮したる人々が、どうにもならない問題を抱えた人々が、私から直接でなくても間接的にでもアクセスはどうでもいいから、どんな繋がり関わりでも構わないから、聖天さまの御足を押し頂く端緒となり、結果、その人たちが救われること。そのために働かせて戴くこと。それが私の役目でもあります。
語弊のないように申し加えますが、仏教は増して密教は一神教ではなく、多神教です。然しながら、聖天さまにしか救われない人たちがいる。と云う表現をさせて頂くこと自体に、聖天信仰の特殊性があると云ってもいいでしょう。
この辺りは以前頂いた、けいさんの質疑回答にも繋がっていきますのでまた追々お話しさせて貰います。然しながら入我我入と共に、この点は中々言葉や文字では真意が伝えられないんですねぇ。
だから平田現住職も前住職の意向通り、御利益を得た方しか大聖歓喜天使呪法経は読ませない・・と云うスタンスをお取りになっているやも知れません。それでも誤解を恐れず何とか皆さんにお伝えしてゆく、それもまた食み出しモンの私の役目でありましょう。
この功徳を以って、遍く一切に及ぼし
愚かなる我と我ら有情と皆共に仏道を成じ
願わくば愚願すら叶え給えつつ尊き道へと導きたまわん
頭面接足帰命禮(ずめんせっそくきみょうらい)
愚者必救済 愚願必成就 唯一絶対神
南無大自在大聖大悲歓喜雙身天王
本日もご訪問おおきに、
ご愛読有難う御座いました。
感謝合掌
北斗 法蓮 百拝
2010年07月22日
炎暑、本当に厳しい時節
くれぐれもご自愛のほど、皆様と皆様のご家族
大切な方々への息災健勝を祈念申し上げます。
先週、『もうすぐ梅雨明けまっせぇ〜』とお話ししてたら
週明けから、いきなりの猛暑たけなわでんな〜。
火曜日でしたか・・
全国の最高気温ランキングに、二箇所も群馬が入って
しかも一位と三位。宮崎や大分など南国イメージの県を抑えて
・・ですと。
どんだけ暑いねん?群馬。
昨日は更に、車の車外気温が40.5℃。
インフルエンザか?体温より高いと強烈でんな〜。
御歳を召されると、体感気温も下がるそうで・・
そやけど実際は暑いんやから、気付かずに家ん中で熱中症になってまうお年寄りの方も多いそうですから、皆さん注意して下さいね。
十分な水分と塩分も普段の食事で足りん人は摂って下さいね。私も日中だけで2リットルの水が全部無くなります。帰宅してもまだガブガブ飲んでるので、恐らく一日4リッターぐらい飲んでるんとちゃいますかね。クルマの排気量にしたらまーまーでんな。
我が家では去年同様に、今年もエアコンなしで頑張ります。ナビ付きエアコンとか、省エネ№ワンとか色々ありますが、エアコン付けへんに優るエコはおまへんやろw。
相変わらず日中は外を歩かせてもろぉてますけど、流石に移動中の車中だけはエアコン付けますが、汗でズブ濡れんなった服のまま冷たい風に当たるとホンマ寒いんで、設定温度は信じ難いことに27℃にしてあります。そんでも外気との気温差は10℃以上でっせ!
エアコン大好きやった私。そのため、我が家の洗面室にまで小型の天井エアコンを付けたぐらい。クルマも今まではず〜〜〜っと、運転席も助手席も、後部座席もオール18℃全開で、ちょっと食事する間も駐車場でエアコン付けっぱなしやった私なんで、この設定温度に自分でビックリしとります。
こないだ久しぶりに嫁はんとクルマに乗ったら、『暑い暑い』とエアコンがんがん付ける家内に対して、私は寒くて自分側の吹き出し口を閉めてしまうほどでした。丸っきり反対になりましたね。朝飯も喰わんかった嫁はんが食うて、私が食わんようになりました。神仏事はもはや私の独壇場ですし。

まーそれもこれも日中、外を歩かせてもろてるお陰でんな。
慣れですわ慣れ。いつも昼飯は持参した弁当を、こんな大樹の木陰をお借りして喰うとるんです。お釈迦さまも熱波のインドの大地で、こんな大樹を見つけては伝道の旅の中で休まれたんかのぉ〜なんてね、太古(いにしえ)の思いに浸りながら。
勿論、休憩中はエアコン切ってますから、両側のドアと後ろも開けて。食後は心地より自然の風の中でゆったり読書するのが日課になってます。・・・
然〜〜し!ナンボなんでも、ここんとこの強烈な暑さでは、ちょっと風が止むと、北斗神拳に経絡秘孔でも突かれたみたいに、体中の毛穴から汗が噴出します。ボチボチ、狭いクルマん中での休憩は無理かもw

雨の日は、公民館や集会所の軒先をお借りして喰うこともあります。先日、足元に眼をやると心無きかな誰かがドサっと捨てたタバコの吸殻がありました。袋もなかったんで流石に拾うまではしませんでしたが、自分は車の灰皿を外して吸ってました。
私がエライとは云いません。捨てたコイツが私よりドアホやとも云いません。いや寧ろ、私より学もあるでしょうし、今の私より所得も多いやも知れまへん。私より家庭を大事にして、良き夫良き父で、友人も多くオンナも泣かしたことないかも知れまへん。
そーゆーこと一切関係無しに、ナンも話さんかったら、誰も見てへんかったら、気を咎めることなくやる人は居てる。そやけど、神仏は自分の心の中に居てはるし、どんだけ饒舌に人を騙せても、善人ぶった表の顔を持ってても、絶対に騙しきらんのもまた自分自身ですから。ね。

あそーそー、
夕方になると汗臭くなるんかして先日、蚊の猛攻撃に遭ってめっちゃくちゃ噛まれたんで、虫除けリングなるものを買ってみました。ちょっと臭いんですけどね。虫除けの葉っぱとおんなじ匂いします。そやけど、とりあえず着けてる日は噛まれんようになったんで効いてるんかと思いますよ。これ、今の時期に歩き遍路行かれる方には必須アイテムかもでんな。
まー今回は他愛もない話ですが、兎に角皆さん、体調崩さんように食欲ない人も、冷麺とかちらし寿司とか、御酢を沢山摂るようにして。まだまだ夏真っ盛り!頑張って行きまひょう!!
本日もご訪問おおきに、
ご愛読有難う御座いました。
感謝合掌
北斗 法蓮 百拝
2010年07月14日
ええねん ええねん
ナンも無理せんでもええねん
気ぃ抜くときは気ぃ抜きや
無理したらアカンで 無理したら
もうちょっと出来るやろ
もうちょっとイケそやな
そない思うても・・
ちょっとでも
もう止めたいな・・ホンマは
もう休みたいな・・ホンマは
そない思うんやったら・・
無理せんでええねん 無理せんでも
自分にプレッシャーかけ過ぎたらアカン
自分を追い込みすぎたらアカン
自分で何でも背負い込み過ぎたらアカンで
無理せんのが続けるられるコツ
続けられてこそ 見えるモンよーさんある
無理せんでええやん 無理せんでも
頑張り屋さんほど 無理するモンやねん
頑張り屋さんほど 限界も高い
そら ええこっちゃねんけど
限界高い分 超えた時に一気に来る
一生懸命やってんのに 破綻する企業
大体 生真面目で頑張る社長さんが多い
ナンで真面目に頑張るのに破綻すんねん?
そら やり方悪いねやがな
真面目に一生懸命やるだけで儲かるほど
企業経営は甘いことおまへん
ま そんな話しは今回 さておいて
続けなアカンで 続けやな
無理したらアカン 無理したら
無理したら
身も心もボロボロんなってまうで
急がば回れ って云いますやろ?
ゆっくりしなはれ ゆっくり
急がなアカンっちゅうはただ一つのときだけ
善は急げ って云いますやろ?
善い心がけを人様に施そうとするなら
言葉でも 行動でも 態度でも 笑顔でも
それは躊躇せず モジモジせず さっさとやりはなれ
それ以外はゆっくりしたらええねん
そんな余裕あらへん?
なに云うてまんねん?
余裕ない時こそ
余裕かましなはれ
回りに心配もかける 迷惑にもなる
無理はアカンで 無理は
但し
ときどきでええから
たまにでええから
ここまで頑張ってみよかな今日は
今日はナンかええコトあるみたいやで
そんな時は頑張ったらええ
そしたらいつのまにか思い出す
あぁ あん時はあっこまで頑張れたんやと
きっといつか その記憶が役に立つときが来る
自分だけでもええ 自分だけが知るその実績が大事やで
人を頼ったらアカン 家族を頼ったらアカン
一番頼れるのは自分やと 胸張って云おう
"この世で自らを島(灯明)とし、自らをよりどころとして、他人をよりどころとせず、法を島(灯明)とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころとせずにあれ"
『大パリニッバーナ経/涅槃経』
第二章 旅に病む――ベールヴァ村にて
お釈迦さんの有名な言葉でんな。
辞世の句に近い。
お釈迦さんは元来、静かなお人で大勢の人前で話したり、教団の指導者であることにも抵抗を感じてはったでしょうし、増して教団を拡張して世界を席捲しようなどとは考えてはれへんかったと思います。
これに端を発し現在まで連綿と系譜するように、仏教教団のあり方は、師に絶対服従するような関係と違ぉて、あくまで個人・個体が独立した歩みをする中で育まれるもんです。他宗教との大きな違いの一つでんな。
「親鸞は弟子一人ももたず」
師も弟子もない 私よう云いますね
人みなわが師なりと。
人も師であれば 自分自身もまた自分の師であると
年金制度も破綻の一途を辿ってます。今後益々、自助努力による老後の蓄え備え収入財源の確保の必要性が高まってゆくでしょう。
今のうち
今のうちでっせ
もっと自分を慈しみ
もっと自分を強く鍛えていきましょう
心も鍛えられます
心(しん)の臓と云うぐらいですから
きっと筋肉で出来とるんでしょうw
だから鍛えれます
でもだから疲労もします
そやから無理せんと行きまひょう
大事なんは 確実に前に進むこと それを続けることです
感謝合掌
北斗 法蓮 百拝
こころさん、ジャガーヌさん
コメントおおきに有難う御座いましたー!!
ナンも無理せんでもええねん
気ぃ抜くときは気ぃ抜きや
無理したらアカンで 無理したら
もうちょっと出来るやろ
もうちょっとイケそやな
そない思うても・・
ちょっとでも
もう止めたいな・・ホンマは
もう休みたいな・・ホンマは
そない思うんやったら・・
無理せんでええねん 無理せんでも
自分にプレッシャーかけ過ぎたらアカン
自分を追い込みすぎたらアカン
自分で何でも背負い込み過ぎたらアカンで
無理せんのが続けるられるコツ
続けられてこそ 見えるモンよーさんある
無理せんでええやん 無理せんでも
頑張り屋さんほど 無理するモンやねん
頑張り屋さんほど 限界も高い
そら ええこっちゃねんけど
限界高い分 超えた時に一気に来る
一生懸命やってんのに 破綻する企業
大体 生真面目で頑張る社長さんが多い
ナンで真面目に頑張るのに破綻すんねん?
そら やり方悪いねやがな
真面目に一生懸命やるだけで儲かるほど
企業経営は甘いことおまへん
ま そんな話しは今回 さておいて
続けなアカンで 続けやな
無理したらアカン 無理したら
無理したら
身も心もボロボロんなってまうで
急がば回れ って云いますやろ?
ゆっくりしなはれ ゆっくり
急がなアカンっちゅうはただ一つのときだけ
善は急げ って云いますやろ?
善い心がけを人様に施そうとするなら
言葉でも 行動でも 態度でも 笑顔でも
それは躊躇せず モジモジせず さっさとやりはなれ
それ以外はゆっくりしたらええねん
そんな余裕あらへん?
なに云うてまんねん?
余裕ない時こそ
余裕かましなはれ
回りに心配もかける 迷惑にもなる
無理はアカンで 無理は
但し
ときどきでええから
たまにでええから
ここまで頑張ってみよかな今日は
今日はナンかええコトあるみたいやで
そんな時は頑張ったらええ
そしたらいつのまにか思い出す
あぁ あん時はあっこまで頑張れたんやと
きっといつか その記憶が役に立つときが来る
自分だけでもええ 自分だけが知るその実績が大事やで
人を頼ったらアカン 家族を頼ったらアカン
一番頼れるのは自分やと 胸張って云おう
"この世で自らを島(灯明)とし、自らをよりどころとして、他人をよりどころとせず、法を島(灯明)とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころとせずにあれ"
『大パリニッバーナ経/涅槃経』
第二章 旅に病む――ベールヴァ村にて
お釈迦さんの有名な言葉でんな。
辞世の句に近い。
お釈迦さんは元来、静かなお人で大勢の人前で話したり、教団の指導者であることにも抵抗を感じてはったでしょうし、増して教団を拡張して世界を席捲しようなどとは考えてはれへんかったと思います。
これに端を発し現在まで連綿と系譜するように、仏教教団のあり方は、師に絶対服従するような関係と違ぉて、あくまで個人・個体が独立した歩みをする中で育まれるもんです。他宗教との大きな違いの一つでんな。
「親鸞は弟子一人ももたず」
師も弟子もない 私よう云いますね
人みなわが師なりと。
人も師であれば 自分自身もまた自分の師であると
年金制度も破綻の一途を辿ってます。今後益々、自助努力による老後の蓄え備え収入財源の確保の必要性が高まってゆくでしょう。
今のうち
今のうちでっせ
もっと自分を慈しみ
もっと自分を強く鍛えていきましょう
心も鍛えられます
心(しん)の臓と云うぐらいですから
きっと筋肉で出来とるんでしょうw
だから鍛えれます
でもだから疲労もします
そやから無理せんと行きまひょう
大事なんは 確実に前に進むこと それを続けることです
感謝合掌
北斗 法蓮 百拝
こころさん、ジャガーヌさん
コメントおおきに有難う御座いましたー!!
2010年07月12日
『頭を剃ったからとて、戒めを守らず偽りを語る者は、"道の人"ではない。欲望と貪り(むさぼり)に満ちている者が、どうして"道の人"であろうか。』〜ダンマパダ・法句経(ほっくきょう)二六四〜
実は私が坊主頭になったんは、出家してからではおまへん。古い読者さんや、発心(ほっしん)以前から知ってはる人はご存知でしょうが。
遍路を歩き出すもっと前、多分40歳を過ぎた頃からやと思います。その頃はまだ、会社も経営しとりましたし、お店に出ることも多くて、よぉお客さんにこない云われました。
「なに?どうしたん?そのアタマ?」とか、「やっと改心したんかい?」とか、「とうとうバレたん?」(←なにがやねん?w)「いよいよ、お縄頂戴かい?」(←なんでやねん?)とか。
まーそれまでの数年間、ちょうど北野武や所ジョージなんかと時を同じくして白に近い金髪でしたし、それが突然、丸坊主アタマんなったさかい余計なんかも知れまへんが。相当インパクトがあったんでしょうねぇ。
思い返せばこの頃から、段々と徐々にですけど、大好きやった新しい服も宝飾品も買わんようになってって、大好きやったクルマも手放して、大好きやった◎◎◎も新規には口説かんようになってw、徐々に減らしてってww・・・
皆さんには(自分自身でも)、発心したのは2007年の春ごろ、初めて遍路を歩き出したんが同年の夏やと云うてきましたが、その二年ほど前から既にその兆候があったんかもでんな。
そーいや、ベンチャー企業家などが集まったパーティーに呼ばれて、正に居慣れ尽くしたその場所で、(ワシ、ここにおるの楽しくないのぉ・・ここはワシのおるべき場所ちゃうかも知れへんなぁ・・ワシ、こいつらと一緒くたやったんか?・・)そんな風に思い始めたのもその時期やったと思います。
然し、それでもまさか自分が坊主になるかも知れん、なりたいな・・世に人に尽くすにはどないしたらええんや・・などとは、夢にも思うてませんでしたが。
ほんの数年前のこっちゃのに、なんやエライ遠〜い昔のように思えまんなぁ〜。数年前なんて、ご近所にしてみたらそれこそつい最近。そのつい最近まで、週に一遍ぐらい帰ってきたと思うたら、明け方にぐぁんぐぁん!と、カン高い排気音のAMGや、ずどどどどどぉーと、重低音のBRABUSの後部座席から、金髪頭に金銀ジャラジャラ身に着けて、ど派手な格好で降りてくる。
お向かいの娘さんの友達なんかが泊まりに来とって、私の馬鹿デカイクルマが切り返しにくいような路駐しとった日なんざ、「コラァ!!出て来い!」と何時であろうが怒鳴る。当然、日中会っても挨拶もしたことあれへんような。そんなどーしょーもない、(どっか引っ越してくれ!あそこん家は!)と、きっと思われとったと思いますが。
そんな私が知らん間に出家して、(そんなもん知るか!って思ってるでしょうがw)坊主アタマにヨレヨレの作務衣にエプロンして、「こんちわー♪」と挨拶しながら歩いて買いモンに行く。・・全くええ加減にせぇよ!って感じでんなw。いやホンマ。
自分自身はいつも有りの儘で居てるつもりでも、それが周囲に迷惑やったり困惑させてたりもしとるでしょう。主夫行にしても嫁はんに頼まれたんでもなく勝手に始めました。
嫁はんにすれば、そんなもんせんでもええから、前みたいに稼いできて前みたいに外で使うな!そない思うとると思いますw。結局、私は出家しようが何しようが、どこまでも行っても自分勝手で我儘なんやと思います。
そんなこんなの私ですが、前回お話した通り、皆さんと同じ日常生活における修行を続けさしてもろぉてます。歩き遍路から三年、出家して二年、主夫行丸一年過ぎました。
そして迎えた新たな修行。その為に今は剃髪を止めて、坊主と云わな分からへん、ただ伸びただけのけったいな髪型になってます。それでも(ご縁)えにし結ぶ方々の中で、坊主だと打ち明け、興味を持たれるままに、坊主らしきお話しをさせて貰ったり、また意識せずとも坊主らしき所作を垣間見られたりされたとき、「さすが、お坊さんですね。私らも見習わないとですね。」と云われたりもします。
っちゅうことは即ち、坊主を坊主たらしめるっちゅうのは、ナンも坊主頭に袈裟着けてるだけが能やないっちゅうことやとも思うてきました。と同時に、そもそも坊主が坊主頭をすんのはなんでやねん?いつからの慣習で、いつまでせなアカンんねん?みたいな疑問が沸いてきました。
確かに坊主頭っちゅうぐらいですから、坊さんらしいっちゅうか、今の時代、坊主頭にしてんのは本物の坊さんか、若い人なら野球部か、昔の日生学園の生徒か、髭も生やせば新宿二丁目のお仲間ぐらいでしょ。フツーはしませんよね。
自分も小学校の頃から髪型は男でも身だしなみ以上に、お洒落と捉えてきた一人ですし、実際、坊主頭にしたのは既述のときが人生で初めてでした。二週間に一度のヘヤダイで傷んだましたし、お洒落すること自体が面倒に思えてきた時期やったんで、思い切って坊主にしただけなんですが、ただ髭は生やしたままやったんで、新宿二丁目の連中とは殊更仲が良かったですけど(それ以前からね)。
神仏分離までは、神社も僧侶が管理してたところが多かったそうですが、今は神主さんも宮司さんもフツーの髪型ですよね。タイやインドでも未だに剃髪しますから、やはりあちらの風習の名残でしょうか。
一般的には、先ほどの申しましたように髪型は、身を飾る装飾対象(≒即ち、俗世における煩悩)となり得ますし、僧侶の生活規範における"律"(りつ)の記載によれば、髪の長さは二指まで(二寸≒6センチ)とされてます。
男子の髪は襟にかからず、耳にかからず・・中学生の生徒手帳に記された校則みたいなモンでっけど(当時パーマあててましたし、ほとんど守ったことはありませんがw)、決まってるねんからしゃーないやんとでも云う感じでしょうか。
或いは、"僧侶とは本来、そーゆー立場である"との認識が、出家・在家、自他共に確固として存在し続けるから?小ざっぱり調髪してても、坊主頭でない僧侶に葬式して貰っても、しっくり来ないから?世俗を離れた存在に感じないから?
同い年の三重院の村上円信副住職が、「修験宗は妻帯が赦されてるんだよ」そう云ってました。恐らく、親鸞がそうであったように浄土真宗も問題ないんでしょう。でも、私の高野山真言宗も他の宗派も、ほとんどの僧侶が妻帯し食肉し、皆さんとなんも変わらん生活をしてると見受けます。
然し、先ほどの意味では確かに私も、坊主頭にしてから行き付けの床屋にも行かなくなり、従って行けばやっていたフェイシャルエステもしなくなり、身を飾ること自体しなくなりましたが。
ぶっちゃけ楽ですしね、お洒落しないってことは。お金も使わないで済みますし。代官山から買ってた白い金髪専用のクソ高いシャンプーも要らないし、サンスターのトニックシャンプーは薬局で298円で買えるし。
あ、髭は最近ちゃんと剃ってますよ。知らない人に毎日会うんですから。でも正直云うと、・・めっちゃくちゃ面倒臭いです。ブツブツ云いながら剃ってますw。
なんせ面倒臭い。自分の身体を洗うのすら死ぬほど面倒臭い。大人になってから発心するまで、数えるほどしか自分で洗ったことがない(誰に洗わせてた?それは秘密w)。それくらい面倒臭がりなんですホンマは。
ほな今日はこの辺で。皆さんさいなら。
梅雨でジメジメうっとぉしいでんな。
せやけど、いつまでもこんなお天気やおまへん。
来週ぐらいには、関東でも梅雨明けてきそうでっせ。
そうでんがな。
うっとぉしいことも、嫌なことも辛いことも
延々続くワケはおまへんねんで。頑張りまひょー!
感謝合掌
北斗 法蓮 百拝
実は私が坊主頭になったんは、出家してからではおまへん。古い読者さんや、発心(ほっしん)以前から知ってはる人はご存知でしょうが。
遍路を歩き出すもっと前、多分40歳を過ぎた頃からやと思います。その頃はまだ、会社も経営しとりましたし、お店に出ることも多くて、よぉお客さんにこない云われました。
「なに?どうしたん?そのアタマ?」とか、「やっと改心したんかい?」とか、「とうとうバレたん?」(←なにがやねん?w)「いよいよ、お縄頂戴かい?」(←なんでやねん?)とか。
まーそれまでの数年間、ちょうど北野武や所ジョージなんかと時を同じくして白に近い金髪でしたし、それが突然、丸坊主アタマんなったさかい余計なんかも知れまへんが。相当インパクトがあったんでしょうねぇ。
思い返せばこの頃から、段々と徐々にですけど、大好きやった新しい服も宝飾品も買わんようになってって、大好きやったクルマも手放して、大好きやった◎◎◎も新規には口説かんようになってw、徐々に減らしてってww・・・
皆さんには(自分自身でも)、発心したのは2007年の春ごろ、初めて遍路を歩き出したんが同年の夏やと云うてきましたが、その二年ほど前から既にその兆候があったんかもでんな。
そーいや、ベンチャー企業家などが集まったパーティーに呼ばれて、正に居慣れ尽くしたその場所で、(ワシ、ここにおるの楽しくないのぉ・・ここはワシのおるべき場所ちゃうかも知れへんなぁ・・ワシ、こいつらと一緒くたやったんか?・・)そんな風に思い始めたのもその時期やったと思います。
然し、それでもまさか自分が坊主になるかも知れん、なりたいな・・世に人に尽くすにはどないしたらええんや・・などとは、夢にも思うてませんでしたが。
ほんの数年前のこっちゃのに、なんやエライ遠〜い昔のように思えまんなぁ〜。数年前なんて、ご近所にしてみたらそれこそつい最近。そのつい最近まで、週に一遍ぐらい帰ってきたと思うたら、明け方にぐぁんぐぁん!と、カン高い排気音のAMGや、ずどどどどどぉーと、重低音のBRABUSの後部座席から、金髪頭に金銀ジャラジャラ身に着けて、ど派手な格好で降りてくる。
お向かいの娘さんの友達なんかが泊まりに来とって、私の馬鹿デカイクルマが切り返しにくいような路駐しとった日なんざ、「コラァ!!出て来い!」と何時であろうが怒鳴る。当然、日中会っても挨拶もしたことあれへんような。そんなどーしょーもない、(どっか引っ越してくれ!あそこん家は!)と、きっと思われとったと思いますが。
そんな私が知らん間に出家して、(そんなもん知るか!って思ってるでしょうがw)坊主アタマにヨレヨレの作務衣にエプロンして、「こんちわー♪」と挨拶しながら歩いて買いモンに行く。・・全くええ加減にせぇよ!って感じでんなw。いやホンマ。
自分自身はいつも有りの儘で居てるつもりでも、それが周囲に迷惑やったり困惑させてたりもしとるでしょう。主夫行にしても嫁はんに頼まれたんでもなく勝手に始めました。
嫁はんにすれば、そんなもんせんでもええから、前みたいに稼いできて前みたいに外で使うな!そない思うとると思いますw。結局、私は出家しようが何しようが、どこまでも行っても自分勝手で我儘なんやと思います。
そんなこんなの私ですが、前回お話した通り、皆さんと同じ日常生活における修行を続けさしてもろぉてます。歩き遍路から三年、出家して二年、主夫行丸一年過ぎました。
そして迎えた新たな修行。その為に今は剃髪を止めて、坊主と云わな分からへん、ただ伸びただけのけったいな髪型になってます。それでも(ご縁)えにし結ぶ方々の中で、坊主だと打ち明け、興味を持たれるままに、坊主らしきお話しをさせて貰ったり、また意識せずとも坊主らしき所作を垣間見られたりされたとき、「さすが、お坊さんですね。私らも見習わないとですね。」と云われたりもします。
っちゅうことは即ち、坊主を坊主たらしめるっちゅうのは、ナンも坊主頭に袈裟着けてるだけが能やないっちゅうことやとも思うてきました。と同時に、そもそも坊主が坊主頭をすんのはなんでやねん?いつからの慣習で、いつまでせなアカンんねん?みたいな疑問が沸いてきました。
確かに坊主頭っちゅうぐらいですから、坊さんらしいっちゅうか、今の時代、坊主頭にしてんのは本物の坊さんか、若い人なら野球部か、昔の日生学園の生徒か、髭も生やせば新宿二丁目のお仲間ぐらいでしょ。フツーはしませんよね。
自分も小学校の頃から髪型は男でも身だしなみ以上に、お洒落と捉えてきた一人ですし、実際、坊主頭にしたのは既述のときが人生で初めてでした。二週間に一度のヘヤダイで傷んだましたし、お洒落すること自体が面倒に思えてきた時期やったんで、思い切って坊主にしただけなんですが、ただ髭は生やしたままやったんで、新宿二丁目の連中とは殊更仲が良かったですけど(それ以前からね)。
神仏分離までは、神社も僧侶が管理してたところが多かったそうですが、今は神主さんも宮司さんもフツーの髪型ですよね。タイやインドでも未だに剃髪しますから、やはりあちらの風習の名残でしょうか。
一般的には、先ほどの申しましたように髪型は、身を飾る装飾対象(≒即ち、俗世における煩悩)となり得ますし、僧侶の生活規範における"律"(りつ)の記載によれば、髪の長さは二指まで(二寸≒6センチ)とされてます。
男子の髪は襟にかからず、耳にかからず・・中学生の生徒手帳に記された校則みたいなモンでっけど(当時パーマあててましたし、ほとんど守ったことはありませんがw)、決まってるねんからしゃーないやんとでも云う感じでしょうか。
或いは、"僧侶とは本来、そーゆー立場である"との認識が、出家・在家、自他共に確固として存在し続けるから?小ざっぱり調髪してても、坊主頭でない僧侶に葬式して貰っても、しっくり来ないから?世俗を離れた存在に感じないから?
同い年の三重院の村上円信副住職が、「修験宗は妻帯が赦されてるんだよ」そう云ってました。恐らく、親鸞がそうであったように浄土真宗も問題ないんでしょう。でも、私の高野山真言宗も他の宗派も、ほとんどの僧侶が妻帯し食肉し、皆さんとなんも変わらん生活をしてると見受けます。
然し、先ほどの意味では確かに私も、坊主頭にしてから行き付けの床屋にも行かなくなり、従って行けばやっていたフェイシャルエステもしなくなり、身を飾ること自体しなくなりましたが。
ぶっちゃけ楽ですしね、お洒落しないってことは。お金も使わないで済みますし。代官山から買ってた白い金髪専用のクソ高いシャンプーも要らないし、サンスターのトニックシャンプーは薬局で298円で買えるし。
あ、髭は最近ちゃんと剃ってますよ。知らない人に毎日会うんですから。でも正直云うと、・・めっちゃくちゃ面倒臭いです。ブツブツ云いながら剃ってますw。
なんせ面倒臭い。自分の身体を洗うのすら死ぬほど面倒臭い。大人になってから発心するまで、数えるほどしか自分で洗ったことがない(誰に洗わせてた?それは秘密w)。それくらい面倒臭がりなんですホンマは。
ほな今日はこの辺で。皆さんさいなら。
梅雨でジメジメうっとぉしいでんな。
せやけど、いつまでもこんなお天気やおまへん。
来週ぐらいには、関東でも梅雨明けてきそうでっせ。
そうでんがな。
うっとぉしいことも、嫌なことも辛いことも
延々続くワケはおまへんねんで。頑張りまひょー!
感謝合掌
北斗 法蓮 百拝
2010年06月30日
どうもどうもご無沙汰しとります。
北斗 法蓮で御座います。
実は6月の7日より、新しい修行をさせてもろぉてます。
いえいえ、どっこも行ってまへん。
深山幽谷(しんざんゆうこく)に篭ってんとちゃいます。
皆さんとおんなじ、俗世に身を置いての修行です。
誰でも出来ます。皆さんとナンも変わりまへん。
確かに修行っちゅうたら、真冬に滝に打たれたり、
大火の上を走ったり、山奥に篭って真言を唱えたり
そんな風なイメージがあります。
然し、サッカー選手が単身ブラジルやイタリアに渡るのも
音楽家がウィーンへ行って勉強するのもどれも修行です。
それよりももっと身近に、
ホンマにどこの誰でも出来るのが俗世での修行です。
要は捉え方とちゃいますかね。
ただ、ボッサーと生きるのと、関わる全ての人々に感謝しつつ、
有難い修行を受けさしてもろぉとるんやと思うのと。
ちゅうことで、主夫行を止めたわけやおまへん。
世間様で言うたら、専業主夫から兼業主夫になっただけです。
そやから、朝の勤行を終えたらソッコー家内の朝飯作って
自分と二人分の弁当作って、ドタバタ家を出て行きます。
この修行始めてから、なぜか朝飯が喰えんようになりました。
今まで44年間、ずっと喰ってきた奴なんですが。
夜は帰宅が7時回ることもままありますが
ソッコー、ご飯炊いてソッコー夕飯作ってます。
パートしてはる世の奥さん方は、皆さんこんな感じなんでしょうね。大変やと思います。ウチはもう子供が独立しとるだけマシですわ。これで子供の世話もせなアカンちゅうたら、ホンマ大変やとつくづく思いますわ。オンナはエライ。
トイレ掃除は、朝一発目のウンコをした際にやるようにしてます
が、流石に毎日の掃除機や床磨きは、出来んようになりましたか
ら、週末に雑巾掛けすると、バケツが真っ黒けになります。
毎日、日中4〜5時間外を歩かせてもろぉてます。
炎天下であろうが、雨降ろうが関係おまへん。
その間に、大体40〜50人の人とご縁もろぉて話してます。
この一年間、限りなく引きこもりに近い?w
専業主夫やったんで、他人さまと話すんにブランクを
感じてましたが、何とか御蔭さんで三週間が過ぎました。
なんせ日焼けして、顔面真っ黒です。
娘に、土方しとる婿より顔が黒いと云われ少々ショックでしたw
毎日、ボットボトに汗かいて婿より顔が黒ぉなっても、
毎日自分の足で歩かせて戴ける。自分の声で話せて貰える。
自分の耳で相手の声が聞こえる。自分の目で相手の目が見える。
十分、幸福なことやと思います。
ただ一度の人生、ボッサーと生きとるぐらいなら
せめてボサツ(菩薩)に成らんと生きまひょう。
それではまたその内に。
ほなさいなら。
感謝合掌
北斗 法蓮 百拝
北斗 法蓮で御座います。
実は6月の7日より、新しい修行をさせてもろぉてます。
いえいえ、どっこも行ってまへん。
深山幽谷(しんざんゆうこく)に篭ってんとちゃいます。
皆さんとおんなじ、俗世に身を置いての修行です。
誰でも出来ます。皆さんとナンも変わりまへん。
確かに修行っちゅうたら、真冬に滝に打たれたり、
大火の上を走ったり、山奥に篭って真言を唱えたり
そんな風なイメージがあります。
然し、サッカー選手が単身ブラジルやイタリアに渡るのも
音楽家がウィーンへ行って勉強するのもどれも修行です。
それよりももっと身近に、
ホンマにどこの誰でも出来るのが俗世での修行です。
要は捉え方とちゃいますかね。
ただ、ボッサーと生きるのと、関わる全ての人々に感謝しつつ、
有難い修行を受けさしてもろぉとるんやと思うのと。
ちゅうことで、主夫行を止めたわけやおまへん。
世間様で言うたら、専業主夫から兼業主夫になっただけです。
そやから、朝の勤行を終えたらソッコー家内の朝飯作って
自分と二人分の弁当作って、ドタバタ家を出て行きます。
この修行始めてから、なぜか朝飯が喰えんようになりました。
今まで44年間、ずっと喰ってきた奴なんですが。
夜は帰宅が7時回ることもままありますが
ソッコー、ご飯炊いてソッコー夕飯作ってます。
パートしてはる世の奥さん方は、皆さんこんな感じなんでしょうね。大変やと思います。ウチはもう子供が独立しとるだけマシですわ。これで子供の世話もせなアカンちゅうたら、ホンマ大変やとつくづく思いますわ。オンナはエライ。
トイレ掃除は、朝一発目のウンコをした際にやるようにしてます
が、流石に毎日の掃除機や床磨きは、出来んようになりましたか
ら、週末に雑巾掛けすると、バケツが真っ黒けになります。
毎日、日中4〜5時間外を歩かせてもろぉてます。
炎天下であろうが、雨降ろうが関係おまへん。
その間に、大体40〜50人の人とご縁もろぉて話してます。
この一年間、限りなく引きこもりに近い?w
専業主夫やったんで、他人さまと話すんにブランクを
感じてましたが、何とか御蔭さんで三週間が過ぎました。
なんせ日焼けして、顔面真っ黒です。
娘に、土方しとる婿より顔が黒いと云われ少々ショックでしたw
毎日、ボットボトに汗かいて婿より顔が黒ぉなっても、
毎日自分の足で歩かせて戴ける。自分の声で話せて貰える。
自分の耳で相手の声が聞こえる。自分の目で相手の目が見える。
十分、幸福なことやと思います。
ただ一度の人生、ボッサーと生きとるぐらいなら
せめてボサツ(菩薩)に成らんと生きまひょう。
それではまたその内に。
ほなさいなら。
感謝合掌
北斗 法蓮 百拝
2010年05月30日
ご存知のように私は今、毎日三座の勤行を努めております。
私には聖天さまが中心佛ですから、すべての座において、
聖天さまのご真言を、それぞれ千遍ずつお唱えしております。
聖天さまのご真言っちゅうのは通常、
『おん・きり・ぎゃく・うん・そわか』で宜しいんでっけど
これは本来、単身像の聖天さまに捧げるご真言でおます。
単身っちゅうのは、お姿がお一人っちゅうことです。
インド本国では所謂ガネーシャでんな。今でも大変信仰の厚い
大人気の神様の一人ですが、ガネーシャの場合は圧倒的に単身
像です。
多面多臂(ためんたひ=顔や手がようけある)の像はあっても、
聖天さまがお二人並ぶ、或いは抱擁し合う雙身(そうしん)像は、
我が国独自に発展したものか、それとも本国ではもう流行らんの
か。いずれにしても、あんまり現在のインドではお見かけ致しま
へん。
我が国においては、聖天さまのお名前を本来は
大自在大聖大悲歓喜雙身天王さまと申します。
(だいじざいだいしょうだいひかんぎそうしんてんのう)
エライ長いお名前でんな。そやさかい、御呼びし易いように亦、
親しみと尊厳を込めて間の文字をとって、聖天さま、歓喜天さま
と御呼びします。
このように、ご本名を"雙身"と申しますことからも、我が国では
雙身像の聖天さまが多く祀られてる風に推測されます。
ほとんどが秘仏なので、お姿を拝謁することは出来まへんけどね。

余談ですがこの写真は、妻沼聖天さまの正門入り口にある、古い
案内標識で、聖天さまはこの標識にあるように、(しょうてん)
ではなく、(しょうでん)と濁って発音します。
歓喜天も(かんき)やなしに、(かんぎ)です。
特に歓喜は、"〜に歓喜する"っちゅう言葉がありますからつい、
(かんき)と発音してしまいがちですけどね。
まーどっちでもいいんですが・・・いや、ええことあれへんか。
すんません、聖天さまw。
ご本尊に雙身像を観想してお祀りする場合、ご真言は
『おん・ぎゃくぎゃく・きり・おん・か・うん・はった』。
我が家では、ずっと単身像の聖天さまをお祀りして参りましたが、
先日、ひょんな事からもう一体(と表現してええのか?どうか)
祭壇にお越しになられたのです。
まるで娘が嫁に行ったように、申し合わせたように
花嫁衣裳の撮影日の夜、婿と娘と家内と四人で食事した後に
・・・です。
あ・・ひと言だけ申しあげときますが、
聖天さまの御仏像は、聖天行者でない限り通常、在家ではお祀り
せん方がええと云われてます。
これについては、何度か過去記事に書かせてもぉたと思いますが、
我が家の聖天像は、親指の爪ぐらいの小さな小さな御仏像です。
これくらいやったら、私のような愚僧でもお祀りしきれるかなと。
ついでに申し上げときますと、二体とも買い求めたのではおまへん。
お金出して対価として、物品を受け取るんは結縁とは思いまへんので。
新たにお越しになられた聖天像も、先のものより更にやや背丈が
小さく、丁度夫婦(めおと)のように並ばれてます。そやから、
この聖天像は御后(おきさき)さまでんな。
ご成婚、誠におめでとう御座います。と、お迎えさせて貰いました。
前置きが、どエライ長ぉなりましたが、そんなこんなで
我が家の聖天さまがご成婚なされて、雙身像となり申したので、
お唱えするご真言も、雙身像に対するものの方がええと思いまして。
今までは、三座とも『おん・きり・ぎゃく・うん・そわか』
でしたが、その日以来、夕刻の二座目だけ『おん・ぎゃくぎゃ
く・きり・おん・か・うん・はった』と、お唱えしとります。
なんで二座目だけやねん?
いえ。あのぉ〜・・・な・長いんでw。
単身用ですと、概ね千遍で10分ぐらい。
百遍で1分なんですが、雙身用ですと百遍が2分30秒。
即ち、千遍で25分かかります。
単に長さで云えば、虚空蔵求聞持法・百万遍を厳修した際に
散々唱えておりました、虚空蔵菩薩のご真言『のう・ぼう・あき
ゃしゃ・ぎゃらばや・おん・ありきゃ・まり・ぼり・そわか』の
方が、よほどメッチャ長いんですが、あの時は右脳で唱えておっ
たので、どんな真言も類を見ない最速でした。
が、まだまだ聖天さまの雙身像のご真言は、左脳を抜け切らず
そこまでの速度が全然出せまへん。
あの時はそれこそ、何時間もぶっ通しで延々唱えておりましたが、
今は勤行中とはいえ、たった25分間に千遍唱えるのも、ひぃー
ひぃー云いながらやっとります。
今思い返すと、よぉやったなぁ〜百万遍。・。そない思います。
それでは今回はこの辺で。毎度おおきに。
本日もご訪問、ご愛読誠に有難う御座いました。
天地宇宙、全世界万民平等平和幸福
共存共栄共生共愛共支共助 悉知成就
感謝合掌
北斗法蓮 百拝
〜編集後記〜
続きを読む
私には聖天さまが中心佛ですから、すべての座において、
聖天さまのご真言を、それぞれ千遍ずつお唱えしております。
聖天さまのご真言っちゅうのは通常、
『おん・きり・ぎゃく・うん・そわか』で宜しいんでっけど
これは本来、単身像の聖天さまに捧げるご真言でおます。
単身っちゅうのは、お姿がお一人っちゅうことです。
インド本国では所謂ガネーシャでんな。今でも大変信仰の厚い
大人気の神様の一人ですが、ガネーシャの場合は圧倒的に単身
像です。
多面多臂(ためんたひ=顔や手がようけある)の像はあっても、
聖天さまがお二人並ぶ、或いは抱擁し合う雙身(そうしん)像は、
我が国独自に発展したものか、それとも本国ではもう流行らんの
か。いずれにしても、あんまり現在のインドではお見かけ致しま
へん。
我が国においては、聖天さまのお名前を本来は
大自在大聖大悲歓喜雙身天王さまと申します。
(だいじざいだいしょうだいひかんぎそうしんてんのう)
エライ長いお名前でんな。そやさかい、御呼びし易いように亦、
親しみと尊厳を込めて間の文字をとって、聖天さま、歓喜天さま
と御呼びします。
このように、ご本名を"雙身"と申しますことからも、我が国では
雙身像の聖天さまが多く祀られてる風に推測されます。
ほとんどが秘仏なので、お姿を拝謁することは出来まへんけどね。
余談ですがこの写真は、妻沼聖天さまの正門入り口にある、古い
案内標識で、聖天さまはこの標識にあるように、(しょうてん)
ではなく、(しょうでん)と濁って発音します。
歓喜天も(かんき)やなしに、(かんぎ)です。
特に歓喜は、"〜に歓喜する"っちゅう言葉がありますからつい、
(かんき)と発音してしまいがちですけどね。
まーどっちでもいいんですが・・・いや、ええことあれへんか。
すんません、聖天さまw。
ご本尊に雙身像を観想してお祀りする場合、ご真言は
『おん・ぎゃくぎゃく・きり・おん・か・うん・はった』。
我が家では、ずっと単身像の聖天さまをお祀りして参りましたが、
先日、ひょんな事からもう一体(と表現してええのか?どうか)
祭壇にお越しになられたのです。
まるで娘が嫁に行ったように、申し合わせたように
花嫁衣裳の撮影日の夜、婿と娘と家内と四人で食事した後に
・・・です。
あ・・ひと言だけ申しあげときますが、
聖天さまの御仏像は、聖天行者でない限り通常、在家ではお祀り
せん方がええと云われてます。
これについては、何度か過去記事に書かせてもぉたと思いますが、
我が家の聖天像は、親指の爪ぐらいの小さな小さな御仏像です。
これくらいやったら、私のような愚僧でもお祀りしきれるかなと。
ついでに申し上げときますと、二体とも買い求めたのではおまへん。
お金出して対価として、物品を受け取るんは結縁とは思いまへんので。
新たにお越しになられた聖天像も、先のものより更にやや背丈が
小さく、丁度夫婦(めおと)のように並ばれてます。そやから、
この聖天像は御后(おきさき)さまでんな。
ご成婚、誠におめでとう御座います。と、お迎えさせて貰いました。
前置きが、どエライ長ぉなりましたが、そんなこんなで
我が家の聖天さまがご成婚なされて、雙身像となり申したので、
お唱えするご真言も、雙身像に対するものの方がええと思いまして。
今までは、三座とも『おん・きり・ぎゃく・うん・そわか』
でしたが、その日以来、夕刻の二座目だけ『おん・ぎゃくぎゃ
く・きり・おん・か・うん・はった』と、お唱えしとります。
なんで二座目だけやねん?
いえ。あのぉ〜・・・な・長いんでw。
単身用ですと、概ね千遍で10分ぐらい。
百遍で1分なんですが、雙身用ですと百遍が2分30秒。
即ち、千遍で25分かかります。
単に長さで云えば、虚空蔵求聞持法・百万遍を厳修した際に
散々唱えておりました、虚空蔵菩薩のご真言『のう・ぼう・あき
ゃしゃ・ぎゃらばや・おん・ありきゃ・まり・ぼり・そわか』の
方が、よほどメッチャ長いんですが、あの時は右脳で唱えておっ
たので、どんな真言も類を見ない最速でした。
が、まだまだ聖天さまの雙身像のご真言は、左脳を抜け切らず
そこまでの速度が全然出せまへん。
あの時はそれこそ、何時間もぶっ通しで延々唱えておりましたが、
今は勤行中とはいえ、たった25分間に千遍唱えるのも、ひぃー
ひぃー云いながらやっとります。
今思い返すと、よぉやったなぁ〜百万遍。・。そない思います。
それでは今回はこの辺で。毎度おおきに。
本日もご訪問、ご愛読誠に有難う御座いました。
天地宇宙、全世界万民平等平和幸福
共存共栄共生共愛共支共助 悉知成就
感謝合掌
北斗法蓮 百拝
〜編集後記〜
続きを読む
2010年05月21日
皆さんこんにちわ。
今日はエライ暑いでんな〜真夏日やそうで。
空っ風群馬特有の、少々荒々しい風がピューピューと
窓から吹き込むんが気持ちええ感じでおます。
その風に連れられて、どこからか芳しい花の香りが致します。
道端に咲いてる花か、それとも窓辺近くに置いてある
母の日に、娘が家内に贈った花籠の香りか。
いずれにせよ、どこから香ってきてるのかなどは
どーでも宜しいことで、このものごっつぅええ花の香りと風が
実に心地よく、幸せやのぉ〜と思うのであります。
暑い日の風が気持ちええのも、花の香りがええ匂いなんも
どちらも至極、当たり前のことでっけど
その当たり前のことに心から有難いと思えるようになる。
下衆な私に、そんな心を抱かせてくれた仏教とは
誠に尊く有難いものでんな。
当たり前のことに感謝出来んと、
当たり前のことが不足になって参ります。
不足は心ん中で不平、不満を生み出します。
当たり前のことをしてくれん、誰かを悪ぅ思うようになります。
当たり前のように行かんことに、腹立たしくも思います。
当たり前とは、人によって食い違っとることも
多少あるやも知れまへんが私らは皆、気が付かんようでも
当たり前の中で守られて生きてるんとちゃいますかね。
「そんなモン知っとるがな!何云うとんねん?」
そない誰もが思う、誰もが知ってるフツーのことです。
当たり前に感謝。簡単なようで難しいですが、
愚か者代表みたいな私でも、近頃そない思えるようになりました。
いやホンマ正直言うたら、たまにです。それも少しだけ(笑)
でも、是もソレも皆さんのお陰さまです。ホンマおおきに。
それでは今回はこの辺で。毎度おおきに。
本日もご訪問、ご愛読誠に有難う御座いました。
感謝合掌
北斗法蓮 百拝
天地宇宙、全世界万民平等平和幸福
共存共栄共生共愛共支共助 悉知成就
〜編集後記〜
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今日はエライ暑いでんな〜真夏日やそうで。
空っ風群馬特有の、少々荒々しい風がピューピューと
窓から吹き込むんが気持ちええ感じでおます。
その風に連れられて、どこからか芳しい花の香りが致します。
道端に咲いてる花か、それとも窓辺近くに置いてある
母の日に、娘が家内に贈った花籠の香りか。
いずれにせよ、どこから香ってきてるのかなどは
どーでも宜しいことで、このものごっつぅええ花の香りと風が
実に心地よく、幸せやのぉ〜と思うのであります。
暑い日の風が気持ちええのも、花の香りがええ匂いなんも
どちらも至極、当たり前のことでっけど
その当たり前のことに心から有難いと思えるようになる。
下衆な私に、そんな心を抱かせてくれた仏教とは
誠に尊く有難いものでんな。
当たり前のことに感謝出来んと、
当たり前のことが不足になって参ります。
不足は心ん中で不平、不満を生み出します。
当たり前のことをしてくれん、誰かを悪ぅ思うようになります。
当たり前のように行かんことに、腹立たしくも思います。
当たり前とは、人によって食い違っとることも
多少あるやも知れまへんが私らは皆、気が付かんようでも
当たり前の中で守られて生きてるんとちゃいますかね。
「そんなモン知っとるがな!何云うとんねん?」
そない誰もが思う、誰もが知ってるフツーのことです。
当たり前に感謝。簡単なようで難しいですが、
愚か者代表みたいな私でも、近頃そない思えるようになりました。
いやホンマ正直言うたら、たまにです。それも少しだけ(笑)
でも、是もソレも皆さんのお陰さまです。ホンマおおきに。
それでは今回はこの辺で。毎度おおきに。
本日もご訪問、ご愛読誠に有難う御座いました。
感謝合掌
北斗法蓮 百拝
天地宇宙、全世界万民平等平和幸福
共存共栄共生共愛共支共助 悉知成就
〜編集後記〜
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2010年04月13日
ハトさん、初めまして。
皆さん、ご無沙汰しとります。
ご機嫌麗しゅう。私が北斗法蓮でおます。
さて表題の記事は、どエライ前に下書きしとったもんです。
今回、ハトさんが体調芳しくなく参詣に参れないとの事ですんでええ機会やと思いまして、ハトさんへの手紙っちゅうお返事も含めて書いてみたいと思います。
実は斯く云う私も、三月の上旬から持病の腰痛が酷ぉて2〜3週間、皆目動けん日が続きました。医者行って注射バスバス打っても薬飲んでも、ど〜にもこ〜にもなりまへん。
今までは横んなりさえすれば痛みも和らぎ、マイコルセットとマイ松葉杖で何とか仕事も出来たんですが、今回は寝返りも出来んぐらい酷ぅおもした。
こりゃ健常者であることの感謝の念を忘れて、ロクすっぽ運動もせんと文句ばっかり云うとるんで、聖天さまがお灸くれはったんやと。そない思い、反省して自重しとりました。
漸く四月に入り何とか治まり、やっぱ歩かんとアカン!思ぉて、なうでお伝えしましたが二千階段を登りに行ったら・・そのせいかどうか分かりまへんが、またここ数日激痛が走り難儀しとります。
まーまー、私の話はどーでもええんですけど、そんな訳で私も全然お参りに行けてまへん。そやけど毎日、キッチリ三座のお勤めは努めあげさして貰ぉてます。
その辺りのお話しをさして貰ぉたら、少しはハトさんのご参考になるかいなと。ま、そんな感じで今回は読んで戴けたら幸いでおます。
前以ってハトさんにはまず、ご安心頂きたいのですが・・
"お参りに行かんと願意は叶えられん" っちゅうことはおまへん。
ので、
"何とか体調のええ時だけでも家で拝みたい"
そのお気持ちだけで十分、尊天上様に思いは届きます。
更に私も本日よりご一緒に体調回復の祈願さして戴きますのでね。
そら日参っちゅうて、毎日キッチリ生駒の宝山寺や浅草の待乳山本龍院など、聖天さまを正しく祀られておる寺院への参詣が出来るに越したことはおまへんが、全国そこら中に欲油祈祷を毎日厳修しとる寺院はほとんどあらへんのが現状です。
増してご体調が優れんっちゅうことでしたら、致し方ないことです。健康であるにも感謝もせず、日参しとるからっちゅうて、どヒマに任せて他にな〜〜んも尊天上様の喜ばれることをしとらん人の、或いは私利私欲まみれる願意を優先的に叶えられるほど、聖天さまの目は曇っておられまへん。
では肝心の拝み方ですけど。
初めてコメント戴いた方やし、ハトさんがどの程度の勤行次第をご存知か分かりまへんので、今回は大まかにお話しさして貰いますね。
【自宅で聖天さまを祀る方法】
1、尊天上様(聖天さま)を安置する
これは"拝む対象として"と云うことです。お札やお守りで十分です。本地佛である十一面観音さまでも構いまへん。
お仏像は聖天さまに限り、在家が所持するものではなく、僧侶であっても正しく祀れなければ、お堂ごと閉鎖するぐらいですのでお求めになるのはやめときまひょう。
これを所謂、偶像支配と称する人もいてますが、教会にあるマリア像や十字架のイエス像に跪くのと同じで、何かしら拝む対象物があった方が人間分かり易いですから。
但し、仏像にせよ御札にせよ、目に見えるそのものに霊能力がある訳もなく、方便として目に見えるものを通してその向こうに聖天さまとの御心を通じ合わせんとあきまへん。即身成仏⇒入我我入でんな。
これを感応同行(かんのんどうこう)と申します。御札などは要するにそこへ至る為のただのツールですが、踏んづけたりブン投げたりしてええ訳もおまへんけどね。本物の御札や開眼された仏像には、行者の念が篭められておりますんでね。まーそないな事やる人おらんと思いまっけどw。
場所は神棚、仏壇がもし既にあれば、そこには何かしら祀られておる筈ですので、そこは避けて下さい。要はそれを家と例えたら、聖天さまは他の神仏と同居させたらアカンっちゅうことです。
今後も聖天信仰を続けられるなら、なるべくは中心佛として場の中央且つ別格(座を高くするとか)に扱うように安置して下さい。
2、聖天さまを供養する⇒六波羅蜜道(ろっぱらみつどう)を行う
まず、供養とは何か?っちゅうと、お墓参り行ったり法事したり所謂、先祖供養だけが供養ではおまへん。"大切に尊ぶ"っちゅうことですから、家族を大事にしてはる人は家族を供養してることになりますし、尊敬してる師に従えてる人が師を尊ぶのも同じです。
尊天上様は尋常ではない功徳を私たちにお授け下さいますが、例えば貴方が人間から言葉で言い表せぬような、とても御礼し尽くせないような親切や恩を受けたらどないしまっか?
能く、"足向けて寝れまへんわぁ〜"とか云いますよね?まーそれい近いっちゅうか、想像しうる何十倍何百倍も尊ぶべき神仏と心得るっちゅうことです。
分かり易ぅ云うと、"正に崇拝に念を以って王様に平伏す"・・ような感覚で接するっちゅうことでんな。日常の挨拶は無論云うまでもなく、報告相談日々の感謝から、食事の際は絶対に自分が先に食べたりせんとかね。相手を超尊敬する人や大事な人と思えば自然にそう接することが出来るんやないでしょうかね。
それが供養です。
次に六波羅蜜道ですが・・
京都チャリンコ巡礼でご紹介した、六波羅蜜寺(ろくはらみつじ)っちゅうのが京都におましたね。あのお寺名の由来でもおます。"ろくはらみつ"、"ろっぱらみつ"。まー読み方はどっちでも構いまへん、細かいことは気にせんと。
これは六度の行(ろくどのぎょう)と申しまして、キッチリ説明したら長ぉなりますが簡単に云うと、仏教では人が死ぬと生前の業(ごう)に応じて十界に行くと考えられております。因みに仏教で云う、"度"とは回数ではなく"道"と考えると分かり易いです。四度加行も四つの道です。
この内、生きとる人間にも適用されるんが六道っちゅうて、六つの迷いの世界です。人は鬼にもなれば仏にもなる、表裏一体の揺れ動く心模様を表してるんですね。
六道についてもいつぞや書かせて貰ぉたと思いますけど・・ちょっとリンクしよう思うたけど見つかりまへんw ご興味あれば探して見て下さい。
なんせ、その六道に陥った人を救う手立てが、六道の行っちゅうことです。これは悟りの世界へ行く六つの道ですから早い話し、誰かてこの六波羅蜜道をゆくことによって仏になれるのでありまして、即ちそれはそのまま"菩薩行(ぼさつぎょう)"っちゅうことになります。
色々書きましたがなんも難しいことはおまへん。
きっとなんやそうか?それでええんかい?
そんなんとっくに知っとるっちゅうねん!
そう云うと思いますよw。
ほな具体的にどないすんねん?
はい、こないしたらええんです。
六波羅蜜道の行い方(菩薩行)
↓
壱、布施(ふせ)の徳
どないする?⇒朝、一番のお水と茶湯を供える
何が菩薩行?⇒物惜しみする心を払拭し、感謝の心で社会に尽くす道をゆく行。
弐、持戒(じかい)の徳
どないする?⇒塗香を手や首、右肩、腹に塗って淨める。
何が菩薩行?⇒悪事を控え善意を施すために励む道をゆく行。
参、忍辱(にんにく)の徳
どないする?⇒お花を供える

特に聖天さまには"華水供(けすいく)"が良いとされる。
難しいことはない、能くある対の花瓶の他に聖天さまだけに供える美しいお花をガラス皿などに浮かべてお供えすれば良い。これが在家でも毎日出来る、聖天さまが最も喜ばれる供養。
何が菩薩行?⇒怒りやすい人の心を静める道をゆく行。
四、精進(しょうじん)の徳
どないする?⇒お線香を焚く
何が菩薩行?⇒怠け心を忙殺する道をゆく行。
五、禅定(ぜんじょう)の徳
どないする?⇒御飯を供える
何が菩薩行?⇒散り散りに為り易い心をまとめ安定させる道をゆく行。
六、知恵の徳
どないする?⇒お灯明を供える
何が菩薩行?⇒愚かなる暗き心を愛の知恵で明るく灯す道をゆく行。
ま、こんな感じです。
お仏壇が既にある人なら全部やってるようなことでしょ?
菩薩行、六つの道をゆくことを顕しておるんが、それぞれのお供えっちゅうことでんな。
ただ、多くの人がやってる同じことでも、お仏壇の前に座したとき、"自分は六度の行を行っているんや"、"これはご供養であり菩薩行なんや、立派に努めんと。" とまー、こない理解してそない踏まえて臨むのと、ただチーンと鐘鳴らしてだけとは全然ちゃいますからね。
更に云えば、他の諸神諸仏と混合して御祀りしとる場合特に、お金が足らんでお供えもんが少ししか買えんかったり、たまたまキレイなお花が安かったり、美味しそうな茶菓子を見つけたり、そんな時でも構しまへんから、聖天さまにだけは、"最優先的"にお供えしてあげましょう。
そんな小さな日々の供養の積み重ねが、"お慕い申し上げております。" "とても大切に思っております。" 即ち、大事に思ぉてます=供養しております。っちゅうことに繋がっていきます。
人を真に愛する気持ちがあれば誰でも出来ます。
いつも、どこでも、どんなときでも、いつまでも・・
Always love you,ever forever no matter what・・・っちゅうことです。
お供えの他には毎日、出来れば朝晩の二座。
無理ならば朝だけとか、ハトさんのように御身体が優れなければ勿論、体調の良いときだけでも構いまへんから、読経するのが良いでしょう。
お経を読むのも辛いなら、ただ聖天さまの御真言を一心にベッドの中でも唱えるだけでも構いまへん。どんなお経を読めばいいのか?その辺も全然分からへん、っちゅうことでしたらまたコメント戴ければと思います。
それでは今回はこの辺で。毎度おおきに。
本日もご訪問、ご愛読誠に有難う御座いました。
感謝合掌
北斗法蓮 百拝
天地宇宙、全世界万民平等平和幸福
共存共栄共生共愛共支共助 悉知成就
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皆さん、ご無沙汰しとります。
ご機嫌麗しゅう。私が北斗法蓮でおます。
さて表題の記事は、どエライ前に下書きしとったもんです。
今回、ハトさんが体調芳しくなく参詣に参れないとの事ですんでええ機会やと思いまして、ハトさんへの手紙っちゅうお返事も含めて書いてみたいと思います。
実は斯く云う私も、三月の上旬から持病の腰痛が酷ぉて2〜3週間、皆目動けん日が続きました。医者行って注射バスバス打っても薬飲んでも、ど〜にもこ〜にもなりまへん。
今までは横んなりさえすれば痛みも和らぎ、マイコルセットとマイ松葉杖で何とか仕事も出来たんですが、今回は寝返りも出来んぐらい酷ぅおもした。
こりゃ健常者であることの感謝の念を忘れて、ロクすっぽ運動もせんと文句ばっかり云うとるんで、聖天さまがお灸くれはったんやと。そない思い、反省して自重しとりました。
漸く四月に入り何とか治まり、やっぱ歩かんとアカン!思ぉて、なうでお伝えしましたが二千階段を登りに行ったら・・そのせいかどうか分かりまへんが、またここ数日激痛が走り難儀しとります。
まーまー、私の話はどーでもええんですけど、そんな訳で私も全然お参りに行けてまへん。そやけど毎日、キッチリ三座のお勤めは努めあげさして貰ぉてます。
その辺りのお話しをさして貰ぉたら、少しはハトさんのご参考になるかいなと。ま、そんな感じで今回は読んで戴けたら幸いでおます。
前以ってハトさんにはまず、ご安心頂きたいのですが・・
"お参りに行かんと願意は叶えられん" っちゅうことはおまへん。
ので、
"何とか体調のええ時だけでも家で拝みたい"
そのお気持ちだけで十分、尊天上様に思いは届きます。
更に私も本日よりご一緒に体調回復の祈願さして戴きますのでね。
そら日参っちゅうて、毎日キッチリ生駒の宝山寺や浅草の待乳山本龍院など、聖天さまを正しく祀られておる寺院への参詣が出来るに越したことはおまへんが、全国そこら中に欲油祈祷を毎日厳修しとる寺院はほとんどあらへんのが現状です。
増してご体調が優れんっちゅうことでしたら、致し方ないことです。健康であるにも感謝もせず、日参しとるからっちゅうて、どヒマに任せて他にな〜〜んも尊天上様の喜ばれることをしとらん人の、或いは私利私欲まみれる願意を優先的に叶えられるほど、聖天さまの目は曇っておられまへん。
では肝心の拝み方ですけど。
初めてコメント戴いた方やし、ハトさんがどの程度の勤行次第をご存知か分かりまへんので、今回は大まかにお話しさして貰いますね。
【自宅で聖天さまを祀る方法】
1、尊天上様(聖天さま)を安置する
これは"拝む対象として"と云うことです。お札やお守りで十分です。本地佛である十一面観音さまでも構いまへん。
お仏像は聖天さまに限り、在家が所持するものではなく、僧侶であっても正しく祀れなければ、お堂ごと閉鎖するぐらいですのでお求めになるのはやめときまひょう。
これを所謂、偶像支配と称する人もいてますが、教会にあるマリア像や十字架のイエス像に跪くのと同じで、何かしら拝む対象物があった方が人間分かり易いですから。
但し、仏像にせよ御札にせよ、目に見えるそのものに霊能力がある訳もなく、方便として目に見えるものを通してその向こうに聖天さまとの御心を通じ合わせんとあきまへん。即身成仏⇒入我我入でんな。
これを感応同行(かんのんどうこう)と申します。御札などは要するにそこへ至る為のただのツールですが、踏んづけたりブン投げたりしてええ訳もおまへんけどね。本物の御札や開眼された仏像には、行者の念が篭められておりますんでね。まーそないな事やる人おらんと思いまっけどw。
場所は神棚、仏壇がもし既にあれば、そこには何かしら祀られておる筈ですので、そこは避けて下さい。要はそれを家と例えたら、聖天さまは他の神仏と同居させたらアカンっちゅうことです。
今後も聖天信仰を続けられるなら、なるべくは中心佛として場の中央且つ別格(座を高くするとか)に扱うように安置して下さい。
2、聖天さまを供養する⇒六波羅蜜道(ろっぱらみつどう)を行う
まず、供養とは何か?っちゅうと、お墓参り行ったり法事したり所謂、先祖供養だけが供養ではおまへん。"大切に尊ぶ"っちゅうことですから、家族を大事にしてはる人は家族を供養してることになりますし、尊敬してる師に従えてる人が師を尊ぶのも同じです。
尊天上様は尋常ではない功徳を私たちにお授け下さいますが、例えば貴方が人間から言葉で言い表せぬような、とても御礼し尽くせないような親切や恩を受けたらどないしまっか?
能く、"足向けて寝れまへんわぁ〜"とか云いますよね?まーそれい近いっちゅうか、想像しうる何十倍何百倍も尊ぶべき神仏と心得るっちゅうことです。
分かり易ぅ云うと、"正に崇拝に念を以って王様に平伏す"・・ような感覚で接するっちゅうことでんな。日常の挨拶は無論云うまでもなく、報告相談日々の感謝から、食事の際は絶対に自分が先に食べたりせんとかね。相手を超尊敬する人や大事な人と思えば自然にそう接することが出来るんやないでしょうかね。
それが供養です。
次に六波羅蜜道ですが・・
京都チャリンコ巡礼でご紹介した、六波羅蜜寺(ろくはらみつじ)っちゅうのが京都におましたね。あのお寺名の由来でもおます。"ろくはらみつ"、"ろっぱらみつ"。まー読み方はどっちでも構いまへん、細かいことは気にせんと。
これは六度の行(ろくどのぎょう)と申しまして、キッチリ説明したら長ぉなりますが簡単に云うと、仏教では人が死ぬと生前の業(ごう)に応じて十界に行くと考えられております。因みに仏教で云う、"度"とは回数ではなく"道"と考えると分かり易いです。四度加行も四つの道です。
この内、生きとる人間にも適用されるんが六道っちゅうて、六つの迷いの世界です。人は鬼にもなれば仏にもなる、表裏一体の揺れ動く心模様を表してるんですね。
六道についてもいつぞや書かせて貰ぉたと思いますけど・・ちょっとリンクしよう思うたけど見つかりまへんw ご興味あれば探して見て下さい。
なんせ、その六道に陥った人を救う手立てが、六道の行っちゅうことです。これは悟りの世界へ行く六つの道ですから早い話し、誰かてこの六波羅蜜道をゆくことによって仏になれるのでありまして、即ちそれはそのまま"菩薩行(ぼさつぎょう)"っちゅうことになります。
色々書きましたがなんも難しいことはおまへん。
きっとなんやそうか?それでええんかい?
そんなんとっくに知っとるっちゅうねん!
そう云うと思いますよw。
ほな具体的にどないすんねん?
はい、こないしたらええんです。
六波羅蜜道の行い方(菩薩行)
↓
壱、布施(ふせ)の徳
どないする?⇒朝、一番のお水と茶湯を供える
何が菩薩行?⇒物惜しみする心を払拭し、感謝の心で社会に尽くす道をゆく行。
弐、持戒(じかい)の徳
どないする?⇒塗香を手や首、右肩、腹に塗って淨める。
何が菩薩行?⇒悪事を控え善意を施すために励む道をゆく行。
参、忍辱(にんにく)の徳
どないする?⇒お花を供える
特に聖天さまには"華水供(けすいく)"が良いとされる。
難しいことはない、能くある対の花瓶の他に聖天さまだけに供える美しいお花をガラス皿などに浮かべてお供えすれば良い。これが在家でも毎日出来る、聖天さまが最も喜ばれる供養。
何が菩薩行?⇒怒りやすい人の心を静める道をゆく行。
四、精進(しょうじん)の徳
どないする?⇒お線香を焚く
何が菩薩行?⇒怠け心を忙殺する道をゆく行。
五、禅定(ぜんじょう)の徳
どないする?⇒御飯を供える
何が菩薩行?⇒散り散りに為り易い心をまとめ安定させる道をゆく行。
六、知恵の徳
どないする?⇒お灯明を供える
何が菩薩行?⇒愚かなる暗き心を愛の知恵で明るく灯す道をゆく行。
ま、こんな感じです。
お仏壇が既にある人なら全部やってるようなことでしょ?
菩薩行、六つの道をゆくことを顕しておるんが、それぞれのお供えっちゅうことでんな。
ただ、多くの人がやってる同じことでも、お仏壇の前に座したとき、"自分は六度の行を行っているんや"、"これはご供養であり菩薩行なんや、立派に努めんと。" とまー、こない理解してそない踏まえて臨むのと、ただチーンと鐘鳴らしてだけとは全然ちゃいますからね。
更に云えば、他の諸神諸仏と混合して御祀りしとる場合特に、お金が足らんでお供えもんが少ししか買えんかったり、たまたまキレイなお花が安かったり、美味しそうな茶菓子を見つけたり、そんな時でも構しまへんから、聖天さまにだけは、"最優先的"にお供えしてあげましょう。
そんな小さな日々の供養の積み重ねが、"お慕い申し上げております。" "とても大切に思っております。" 即ち、大事に思ぉてます=供養しております。っちゅうことに繋がっていきます。
人を真に愛する気持ちがあれば誰でも出来ます。
いつも、どこでも、どんなときでも、いつまでも・・
Always love you,ever forever no matter what・・・っちゅうことです。
お供えの他には毎日、出来れば朝晩の二座。
無理ならば朝だけとか、ハトさんのように御身体が優れなければ勿論、体調の良いときだけでも構いまへんから、読経するのが良いでしょう。
お経を読むのも辛いなら、ただ聖天さまの御真言を一心にベッドの中でも唱えるだけでも構いまへん。どんなお経を読めばいいのか?その辺も全然分からへん、っちゅうことでしたらまたコメント戴ければと思います。
それでは今回はこの辺で。毎度おおきに。
本日もご訪問、ご愛読誠に有難う御座いました。
感謝合掌
北斗法蓮 百拝
天地宇宙、全世界万民平等平和幸福
共存共栄共生共愛共支共助 悉知成就
続きを読む
2010年03月04日
寒いですね・・
昨夜は満月を過ぎて、わずか欠けたものの
ほぼ、まん丸のお月さんが見れたというのに
本日の空は打って変わりグレーの空。
窓の多い日当たりの良い我が家ですら
朝から既に夕方のような室内の暗さです。
数日前、
すっかり穏やかな春の訪れに
今年もとうとう羽織ることがなかったと思い
仕舞いこんだコートを引っ張り出しました。
元よりクルマでの移動が常識の群馬では
コートを着る機会など無いに等しいのですが。
四季の移り変わりは人生の如く。
陽気な春の訪れに体よく慢心すれば、厳しい冬がまだまだ
それを許さんと最後の力を振り絞り私たちに諭してるようであります。
思いだけが先につんのめり
心とアタマが先へ先へ急ごうとギューギュー詰めんなっとります。
行動派の私が動くに動けない現状のフラストレーションは
とっくにどピークを越えておりますが・・
然れど今はただ、
ただただ、尊天上様を仰ぎ日々の勤行を精一杯怠らず
学びを止めず飽くことなく精進を重ねるのみ。
大宇宙全世界平和
万民共生共存共栄共愛を祈念しつつ
どアホなる私を筆頭に
世にも人にもクソにも役に立たん愚かなるものたちと
飢えたる子供たちのように世の力なき窮たるものたちこそ
まずは救われてこそ、法の力であり教えであると
私はそう信じております。
はがゆい思いは募る一方ではありますが
恐れながらもう少々お待ち戴きとう存じます。
本日もご愛読、ご訪問
誠に有難う御座います。
毎度おおきに。
人みなわが師なり
感謝合掌 北斗法蓮 百拝
昨夜は満月を過ぎて、わずか欠けたものの
ほぼ、まん丸のお月さんが見れたというのに
本日の空は打って変わりグレーの空。
窓の多い日当たりの良い我が家ですら
朝から既に夕方のような室内の暗さです。
数日前、
すっかり穏やかな春の訪れに
今年もとうとう羽織ることがなかったと思い
仕舞いこんだコートを引っ張り出しました。
元よりクルマでの移動が常識の群馬では
コートを着る機会など無いに等しいのですが。
四季の移り変わりは人生の如く。
陽気な春の訪れに体よく慢心すれば、厳しい冬がまだまだ
それを許さんと最後の力を振り絞り私たちに諭してるようであります。
思いだけが先につんのめり
心とアタマが先へ先へ急ごうとギューギュー詰めんなっとります。
行動派の私が動くに動けない現状のフラストレーションは
とっくにどピークを越えておりますが・・
然れど今はただ、
ただただ、尊天上様を仰ぎ日々の勤行を精一杯怠らず
学びを止めず飽くことなく精進を重ねるのみ。
大宇宙全世界平和
万民共生共存共栄共愛を祈念しつつ
どアホなる私を筆頭に
世にも人にもクソにも役に立たん愚かなるものたちと
飢えたる子供たちのように世の力なき窮たるものたちこそ
まずは救われてこそ、法の力であり教えであると
私はそう信じております。
はがゆい思いは募る一方ではありますが
恐れながらもう少々お待ち戴きとう存じます。
本日もご愛読、ご訪問
誠に有難う御座います。
毎度おおきに。
人みなわが師なり
感謝合掌 北斗法蓮 百拝
2010年02月04日
好きな服を着て
好きな靴を履き
好きな時計をはめて
好きなジュエリーで身を飾る
好きなときに好きなだけ
好きなクルマに乗り好きな処へゆき
好きな家具に囲まれ
好きな場所で好きな建物に住み
好きな相手と好きなときに
好きな快適手段で移動して
好きな國で好きな宿に好きなだけ過ごす
羨ましいですか?
いいえ、とんでもない。
そんなものはどうってことないものなのです。
それら全てを投げ出しても
なお、やりたいことがあるのです。
それが今のわたしです。
本日もご愛読、ご訪問
誠に有難う御座います。
毎度おおきに。
感謝合掌
北斗法蓮 百拝
好きな靴を履き
好きな時計をはめて
好きなジュエリーで身を飾る
好きなときに好きなだけ
好きなクルマに乗り好きな処へゆき
好きな家具に囲まれ
好きな場所で好きな建物に住み
好きな相手と好きなときに
好きな快適手段で移動して
好きな國で好きな宿に好きなだけ過ごす
羨ましいですか?
いいえ、とんでもない。
そんなものはどうってことないものなのです。
それら全てを投げ出しても
なお、やりたいことがあるのです。
それが今のわたしです。
本日もご愛読、ご訪問
誠に有難う御座います。
毎度おおきに。
感謝合掌
北斗法蓮 百拝

















