午後までに仕事も済ませ、夕方には群馬に戻るため、あまり時間がない。朝の勤行を終え、そそくさとチェックアウト。フロントにパソコンなど重い物を預かってもらい、早々とホテルを出た。ホテルの客室で行なう勤行は固い床に正座するので結構辛い。増して以前より勤行が長くなっている分、浴衣が汗でボトボトになるほど。しかし、外出中でも聖天さまの真言千遍は一切省略せず続けた。
宝山寺、通称「生駒の聖天さん」へは近鉄電車で向かう。高野山は南海電車、いずれも私鉄のため、スイカが使えない。いつの間にか、JRだけは関西の「イコカ」と併用してスイカが使えるようになったのはいいが、地下鉄も私鉄も利用できない。小銭で買うのが面倒な人は、「スルッと関西 レインボーカード」という、プリペイドが便利。これも芦屋の知己に教えていただいた。これなら私鉄も地下鉄も全部乗れる。あ、但し、生駒に着いてから「鳥居前」から乗るケーブカーは使えなかったので念のため。
難波(ミナミ)から生駒までは近くていい。急行で30分程度。上手く「鳥居前」でケーブルに接続出来たら、宝山寺駅まで45分ぐらいで着いてしまう。高野山はやっぱり遠い。当然か。奈良県、和歌山県と二つ先なんだから。生駒は奈良県、しかも大阪寄り。でもミナミは便利、どこへでもアクセスしやすい。西国における電車巡礼の拠点はミナミが宜しいかと。
生駒は生駒山という山である。山頂に生駒遊園地があって、そこまで信貴スカイラインが通っている。要するに若い頃の自分にとって生駒は、ドライブに遊園地といずれもオンナと遊ぶ場所だった。無論、「生駒の聖天さん」と聞いたことすらない。無興味、無信仰は恐ろしい。盲目と同じだ。電車で行くのは記憶では初めて。もしかしたら、商売をしていて信仰深かった、婆ちゃんに連れられて行ったかも知れん。生駒山の麓に「石切神社」通称、石切さんがある。これも有名。これは知っていた。多分、これも婆ちゃんに連れて行かれたと思う。
宝山寺駅から15分ほど、参道を歩く。延々登りの石段だ。何段ぐらいあるだろう、かなりありそうだ。数えるのを忘れた。フーフーと、息を切らせて登っているお年寄りを抜かして、「結構な石段ですね〜」と振り向いて挨拶したが、爺さんは答えられないぐらいに息も絶え絶えだった(笑。
やっと、大きな石の鳥居が見えて来た(でも相当上の方)。巨大な注連縄の中心に誇らしげに「歓喜天」と大きな額が掲げられている。これを潜っても、まだまだ山門まで石段は続いていく。やがて両脇に寄進者の石碑が並び始めると驚かされることになる。「永代浴油」と題された、浴油祈祷による信者の寄進だが、「金壱百萬圓」がビッシリと並んで、(おぉ〜百万円の浴油かぁ〜沢山あるな〜)と感心していたら、「三百万」「五百万」がゴロゴロ出てきた。更に山門前まで行くと、「壱千萬」の石碑がズラズラ並び、中には「三千万」「五千万」「一億」までもある。しかも、その数たるやハンパではない。それだけ多くの人が救われた証というべきもの。正に恐るべし!聖天さま信仰!
山門右手に札所案内があった。自分は今回、愛染霊場の巡礼と聖天さまを参りにきたが、ここ宝山寺は愛染霊場の他にも、近畿三十六不動尊霊場、大和十三仏霊場、真言宗十八本山、仏塔古寺十八尊霊場、役行者霊蹟霊場と幾つもの霊場の札所にもなっている。縁日でなくとも常に参詣者が多いのも頷ける。この日も続々と山門から参詣者が人が飲み込まれていく。
線香場からUターンするように登って行くと、文殊堂があって次に十一面観音が祀られる観音堂がある。どこかしこでも祈祷、祈願が出来るようになっているのか、それぞれの堂に受付があり、みな思い思いの仏さまの堂に上がって参拝している。多宝塔まで着いたのだが、更に上の方に大師堂があると分かって、先にお大師さんへご挨拶へ行く事にした。
大師堂にいらっしゃったお大師さんは、写真は取れなかったので皆さんにお見せできず残念なぐらい、なんとも福与かな慈悲に溢れたお顔で、等身大の坐像が安置されていた。堂に上がらせていただき、般若心経を唱えこんにちのお導きにも感謝を述べる。更に上へ上へと参道があるので、大師堂で訪ねると奥の院があるそうなので行ってみることにした。見た目でも大きく感じたが歩くとやはり相当広い、ほぼ山ごとの境内である。
奥之院の入り口に「開山堂」があった。案内札を読んでみると、1678年にこの宝山寺を開山した湛海律師の尊像が安置されているという。(それ以前は、元々役行者が開いた修験道場であり、弘法大師も修行したとされる。)湛海律師のことは初めて聞く名であるし、詳しいことは分からないが、彼によって事実上再興しこの地に寺が建立され、歓喜天を祀ったのも彼であるそうなのでご挨拶しないわけには行かない。また湛海律師は、「我が影は永く生駒の山に留まって、衆生を救度せん」と誓い、十万枚の護摩供養など言語を絶する修行を積まれたという。
やっと多宝塔まで下ってきて、目的の愛染明王さまへ参詣を果たす。こちらのご本尊はお厨子に入った秘仏の筈なので、開放された多宝塔の中に見えた愛染明像は御前立てか? 理趣経を読んでいる間も、次から次へと参拝者が自分の横から賽銭を投げ入れ拝んでいる。ご真言を唱えているのか、経を読んでいるのか聴こえないが、ここでもただ手を合わせるだけの観光参拝者は皆無である。こうして、愛染明王さまに参詣を済ませ、いよいよ聖天さまのおわす拝殿へ向かう。
この拝殿は奥の内陣に聖天さまが安置され、手前の中拝殿が聖天さまへ大般若経転読など御法楽を捧げる場所で、一番外に近い場所の外拝殿は信者が四六時中自由に出入りして参拝出来るよう配慮されていると云う。四六時中いつだって拝みたい時に拝める。この天堂で毎朝、午前二時から浴油祈祷が行なわれている。これこそが、本来の寺院のあるべき姿ではないだろうか。仏教とは真理を見据え、本当の自分を取り戻し人様の役に立つ教えではないか。それを導く手立てを示したり場所を提供するのが坊主や寺院の役目ではないか。
昨今、四国八十八ヶ所札所においても益々寺院は観光化され、セキュリティー強化という名目の元に、五時過ぎればバンバン扉が閉じられ鍵までかかって寺院によっては、門さえ潜れない。寺院のセキュリティーってナンだ?参拝者を泥棒扱いか?生活の為に仏像を盗む時代ではない。遍路の札所になっていない寺院も、如何に無知蒙昧参拝者から金を巻き上げるか、檀家を如何に抱え増やすか?葬儀と法事、年中行事の進行係宜しく、世を捨てるどころか下手すれば、我々衆生や自分のような外道よりも強欲で地位と名誉に縋りつく坊主が増えた。日本の価値有る佛教を行事化したのは、そういった色ボケ坊主のせいではないか。
外拝殿には多くの信者が上がっていた。自分も勤行をしようと思い上がらせていただいた。中拝殿では和太鼓が鳴り響き、取り囲む数名の僧侶が経を読んでいる。貸し出し用の勤行次第を見て付いていこうと思ったが、どうやら違う流れで読経しているようだ。信者達も思い思いに礼拝したり、経を読んだりしている。付いて行き様がなく仕方ないので、聖天さまの真言を三百遍唱えて拝殿をあとにした。
納経所へ戻り、掛軸に朱印をいただいている間、ふと後ろを降り向くと山の上の方の岩壁の岩屋に坐像が見えた。「あれは、どなたの佛像ですか?」と訪ねると、パンフレットの表紙にある「弥勒菩薩像」と教えられた。開山当初に、この寺域が弥勒浄土の内院であるとの古説に基づき、仏師たちに岩屋の本尊として彫らせたそうだ。パンフレットの写真で見る限り、見事な青銅の弥勒菩薩像である。なぜ、奥之院まで行ったのに行き方が分からなかったのか。「どこからあそこへ行くんでしたか?」と聞くと、始めに線香場から多宝塔へ登った道を、反対の右側へ行けば良かったそうな。しかし、一応危険なので柵がしてあるそうだが、行けなくはないそうな。あとで芦屋の知己にも「行けますよ」とメールを戴いたが、今回は残念ながら時間切れとなってしまった。次回は参拝させて貰います。帰りの宝山寺駅にもこれから参拝する沢山の人たちで溢れていた。今度は是非、真夜中に参拝にきたい。これで愛染霊場四ヶ寺、及び待乳山聖天さま、妻沼聖天さま、生駒の聖天さまと日本三大聖天は参れた。今回の巡礼はここまで。
〜編集後記〜
宝山寺における、浴油祈祷は以下のようになっていた。一応、参考までにご報告。
長日(永代)五十万円以上
大浴油(一ヶ月)五万円以上
上品 十日間 一万円以上
中品 五日間 五千円以上
下品 一日 壱千円以上
花水供 一座 壱千円以下
こうして見ると、大浴油とされるものを十ヶ月も続ければ、五十万になるので永代供養で五十万は安いかも知れない。それ故、多くのご利益を受けた方々が壱百萬の寄進を寄せていたのだろうと思った。難波へ戻り、ホテルから重い荷物を受け取り担いだまま、梅田駅(大阪駅)へ移動。最後の仕事を済ませて新幹線で帰路に着いた。仕事も絡んでいて慌しい巡礼だったが、この旅で神仏は自分に、隠居爺さんのような呑気な巡礼をするために発心させて下さったのではない、残りの人生を巡礼を通じ仕事を通じ、如何に世に人に還元していくか、ということを改めて感じ取った。





